メタン(CH4)と塩素ガス(Cl2)を暗所室温で混ぜても反応は起こりませが、300℃以上に加熱するか紫外線を照射することによってメタンを塩素化することができます。
メタンに含まれる4つの水素原子が塩素原子へと置換されていき、クロロメタン(CH3Cl)→ジクロロメタン(CH2Cl2)→トリクロメタン(CHCl3)→テトラクロロメタン(CCl4)と順に生成します。
今回は、メタンの塩素化の反応機構を例にラジカル連鎖反応について解説していきます。
目次
ホモリシス開裂とは
例えば、分子式がABで表される化合物があるとします。AとBは単結合で結ばれています。このとき何らかの要因によって単結合が切断されて、AとBのあいだで共有していた2つの電子が1つずつAとBに渡りました。
このような過程をホモリシス開裂といいます。
片羽の矢印は電子1つの移動を表します。
ホモリシス開裂により生じた物質が1つの原子のみで構成されている場合は、原子そのものに該当します。例えば、水素原子や塩素原子などのハロゲン原子は不対電子を持ちます。
一方で、ホモリシス開裂によって生じた物質が2つ以上の原子によって構成されている場合は、ラジカルと呼ばれます。例えば、メチルラジカルやエチルラジカルなどがあります。
ラジカルや原子は不対電子を持っているため反応性が高く、単離することができずに反応系の中ですぐに消費されてしまいます。
ハロゲン化水素の結合の強さ
一般に、似た電子軌道同士が重なり合うと結合は強くなる傾向にあります。したがって、ハロゲン化水素の結合の強さは
HF > HCl > HBr > HI
になります。なぜなら、ハロゲンは周期表の下の方に行くほど、水素原子のもつ小さなs軌道と結合を形成するハロゲンの電子のp軌道が大きくなってしまうからです。
C-H結合の強さ
アルカンのC-H結合は、Cがメタンとしての炭素から第一級炭素、第二級炭素、第三級炭素になるにしたがって結合は弱くなります。そのため、第三級炭素がもっともホモリシス開裂を起こしやすいです。
アルキルラジカルの安定性
C-H結合を容易に切断できるということは、ラジカルとしての安定性が高いことを意味します。したがって、C-H結合の弱い第三級炭素はラジカルとしての安定性が高く、メチルラジカルは安定性が低いです。
メチルラジカルの超共役
それではなぜ、第三級アルカンのラジカルがもっとも安定性が高くなるのでしょうか。その疑問を解決するためにはラジカル炭素のsp2混成軌道に注目すれば良いです。
アルカンの炭素は通常、sp3混成軌道を形成していますが、ホモリシス開裂によって水素が1個抜けているのでsp2混成軌道をとっています。
例えば、エチルラジカルについて考えてみましょう。下の図を見ると、ラジカル炭素のp軌道とメチル基の炭素のsp3混成軌道の1つが重なり合っているのが分かります。
この場合、sp3混成軌道上の電子が隣のp軌道に流れ込むことによって非局在化することができます。この現象を超共役といって、ラジカルの安定化をもたらします。
そこで、ラジカル炭素に結合する水素原子をメチル基に置換するとどうなるでしょうか。下図のように超共役の数が増えていくのが分かります。したがって、第三級アルキルのラジカルがもっとも安定しています。
第三級アルキルラジカルが安定であることの理由は他にもあります。それは、水素原子が抜けることで立体障害が緩和されるということです。
アルカンは炭素を中心とした四面体構造をとっていますが、ラジカルになるとラジカル炭素の周りが平面構造に近くなるため立体障害が緩和されるのです。
メタンの塩素化の反応機構
それではいよいよ、メタンが塩素化する反応の機構を解説します。
開始反応:Cl-Cl結合のホモリシス開裂
まず、メタンと塩素の混合物を300℃の温度で加熱するか光を照射すると、メタンは安定しているため何も起こりませんが、塩素分子のCl-Cl結合がホモリシス開裂を起こします。
伝搬段階1:塩素原子による水素原子の引き抜き
一度ホモリシス開裂によって塩素原子が生成すると、自己伝搬反応が始まります。この反応は2つの段階に分けることができて、伝搬段階1では塩素原子がメタンを攻撃して水素原子を引き抜きます。
伝搬段階2:メチルラジカルによる塩素原子の引き抜き
伝搬段階2で生成したメチラジカルは、塩素分子から塩素原子を引き抜きます。
連鎖停止反応:ラジカル同士の結合
ラジカル連鎖反応はラジカル同士がカップリング反応を起こすことで終結します。ただし、反応系における塩素原子とメチルラジカルの量は非常に少ないため、これらが出会う確率は低く、反応はなかなか停止しません。
ラジカル連鎖反応
メタンの塩素化のような、ラジカルによる原子の引き抜きによって新たなラジカルが生成し、そのラジカルがまた原子を引く抜いてラジカルを生成するような連鎖的な反応のことを、ラジカル連鎖反応と呼びます。
まず開始反応でハロゲン分子からハロゲン原子が生成します。伝搬段階1ではハロゲン原子が周りの分子から原子を引く抜きラジカルを生成します。
伝搬段階2でラジカルがハロゲン分子を攻撃してハロゲン原子を引く抜き、ハロゲン原子を生成します。そしてこの生成したハロゲン原子が電波段階1の反応を再び引き起こします。
このようにしてハロゲン原子が生成すると、伝搬サイクルが始まり数千・数万サイクルの反応が継続するのです。
塩素以外によるメタンのハロゲン化
アルカンのハロゲン化は塩素以外にもフッ素と臭素で行うことができますが、ヨウ素では出来ません。その理由は、ハロゲンの結合エネルギーと伝搬段階における反応のエンタルピー変化に注目すれば分かります。
まずは各ハロゲンの結合エネルギーを見てみましょう。
いずれのハロゲン分子も塩素より結合エネルギーが低いため、開始反応段階で比較的容易にホモリシス開裂を起こすことがわかります。
次に、各伝搬段階のエンタルピー変化をメタンを例にして見てみましょう。
伝搬段階1でエンタルピーの変化量が負の値を持つハロゲンはフッ素だけで、周期表の下に行くほど値が上昇していきます。フッ素とヨウ素について、伝搬段階1のポテンシャルエネルギー図を見てみましょう。
フッ素の場合、発熱反応で活性化エネルギーが低く、早い段階で遷移状態に入ることができます。ところがヨウ素の場合、吸熱反応で活性化エネルギーが高くフッ素よりも遅い段階で遷移状態に入ります。
一般に、速い発熱反応は早い段階に遷移状態に入ることが多く、遅い吸熱反応は遅い段階に遷移状態に入ることが多いです。これら2つの規則はHammondの仮説と呼ばれています。
また、伝搬段階2ではいずれの場合もエンタルピー変化が負の値を持っています。
2つの伝搬段階を足し合わせるとどうなるでしょうか。上図の3行目の式がそれに該当しますが、ヨウ素だけが正味のエンタルピー変化が生の値をとってしまうのです。これでは反応が進みません。
このことから、ヨウ素だけがメタンをハロゲン化することが出来ないのです。