ファージベクターとその利用法

大腸菌の細胞内に、目的とするDNAを人為的に導入して形質転換しDNAクローニングやタンパク質発現を実行する技術は今なお重宝されています。そのDNAを大腸菌に導入するために運び屋(ベクター)として利用されるのが、プラスミドとバクテリオファージです。今回はファージベクターとその利用法について解説していきます。

バクテリオファージとは

バクテリオファージとは、細菌(バクテリア)に感染するウィルスのことを指します。ファージはDNAとそれを取り囲むコートタンパク質、感染と増殖に必要な制御タンパクの3種類のみで構成されています。

代謝やセントラルドグマの機能は感染先の宿主(細菌)のものを利用します。果たしてこれが生物と呼べるのかどうかは要議論です。

大腸菌に外来DNAを導入するためにはλファージ、T4ファージ、M13ファージ、SP6ファージなどが用いられます。具体的に、λファージとT4ファージの構造を見てみましょう。

ファージの構造

 

T4ファージはまさに月面着陸できそうな形をしていますね。λファージはそこから月面着陸の足を取り除いた構造をしています。両方とも頭部に二本鎖DNAを保持しており、細菌の細胞内に侵入すると環状になります。M13ファージは一本鎖DNA、SP6ファージは二本鎖DNAです。

λファージの生活環

ファージが大腸菌の細胞膜に着陸すると、大腸菌の膜タンパク質を認識してファージDNAを細胞内に注入します。λファージは環境によって溶菌サイクルまたは溶原化サイクルのうち一方の生活環(ライフサイクルのこと)を選択します。

溶原化サイクルにあるファージは溶原ファージと呼ばれています。ファージDNAは大腸菌の染色体DNAに取り込まれることで潜伏し、宿主の増殖ともにファージDNAも受け継がれます。

溶菌サイクルにあるファージは溶菌ファージまたは毒性ファージと呼ばれています。宿主の増殖機能が占拠されて娘ファージが産生され、最終的に細胞膜が破壊されて外に飛び出します。

溶原化サイクル

溶原化サイクルは全てのファージに共通する生活環ではなく、二本鎖DNAを持つファージに特有なものです。大腸菌の膜タンパク質を認識して吸着すると、細胞膜に穴を開けて頭部に収納していたファージDNAを宿主内に注入します。

するとファージDNAの両端にあるcos部位と呼ばれる12塩基分の突出末端同士が相補的な塩基対を形成して環状二本鎖DNAになります。さらに、ファージDNAの遺伝子発現抑制タンパクであるリプレッサーとファージDNAの組み替え酵素であるインテグラーゼが発現します。

リプレッサーは、ファージDNAの遺伝子発現を抑えることで溶菌化サイクルに入るのを防ぎます。また、インテグラーゼによってファージDNAが大腸菌の染色体DNAに組み込まれます。この状態のファージのことをプロファージと呼びます。

プロファージは染色体の複製と細胞分裂の際にともに受け継がれることで大量の溶原化サイクルにある大腸菌を生成することができます。

溶原化サイクル

溶菌サイクル

ひとたび溶菌サイクルに入ると、大腸菌の染色体DNAに組み込まれていたプラスミドDNAは切り離されます。λファージは宿主の複製・発現機構を乗っ取ることでファージDNAの複製と外殻タンパク質の合成を開始します。

ファージ粒子を形成し、十分な数が出来上がると最近の細胞壁を破壊するリゾチームを合成し、大腸菌の細胞壁を破って外に飛び出します。1つの大腸菌からだいたい50〜100程度のλファージが作られ、一連の溶菌サイクルは約1時間以内に収まります。

溶菌サイクル

λファージの利用法と特徴

λファージの利用法

ここではDNAクローニングにλファージを利用することを考えてみましょう。

λファージDNAは両端にそれぞれ左アームと右アーム、それらに挟まれた交換可能領域があります。交換可能領域は溶原化サイクルに関連した遺伝子がコードされていて、BAMHⅠと呼ばれる制限酵素によって両端のアームから切り離してクローニングしたいDNAに交換することができます。

λファージベクターによる形質導入

 

再びつなぎ合わせる際にはDNAライガーゼを使用します。これでクローニングしたいDNAをファージDNAに組み込むことができました。あとはファージDNAを頭部タンパク質内に入れて尾部タンパク質と組み合わせるだけですが、問題があって別々のλファージのcos部位同士が連結してコンカテマーを形成してしまいます。

そこでλターミナーゼと呼ばれるものを加えてコンカテマーを形成するcos部位を切断します。これによってファージDNA同士が切り離されてファージ粒子を形成する子ができます。このようにしてファージDNAからファージ粒子を再構成する一連の作業のことをin vitroパッケージングと呼びます。

再構成した組換えファージ粒子を大腸菌に感染させます。これを形質導入といいます。形質転換はプラスミドの場合を指します。形質導入した大腸菌群を寒天培地の上で培養します。すると大腸菌が生えていないプラーク(溶菌斑)を見ることができます。

このプラークというものは溶菌サイクルによって大腸菌が死滅しファージ粒子で溢れている領域です。ここを爪楊枝でもいいのでつついてファージ粒子を取り出し、再び大腸菌に感染させて培養液で培養し、遠心すると大腸菌は沈殿してファージ粒子が上清に残ります。

最後にフェノール処理によってファージ粒子からλファージDNAを取り出します。これによって、目的DNAが組み込まれたλファージDNAを大量にクローニングすることができます。

λファージベクターの特徴

λファージベクターを用いたDNAクローニングの特徴してまず挙げられるのは、プラスミドDNAよりも大きなDNA断片をクローニングすることが出来ることです。プラスミドであれば10kbpまでですが、λファージであれば10〜20kbpまでのDNA断片をクローニングすることが出来ます。

また、プラスミドよりも導入効率が良いのも大きな特徴です。プラスミドによる形質転換のは大腸菌への導入が人工的で無理やりな手法であるのに対し、ファージによる形質導入は自然界の法則を利用するのでこちらの方が導入効率が良いです。最後に欠点を挙げると、ファージは溶菌を伴うため取り扱いが不便であり、外来タンパクの産生には不向きです。

M13ファージ

M13ファージはλファージよりもクローニング可能なDNA断片が大きく、溶菌をせずに大腸菌から放出されるため取り扱いが容易で重宝されます。

M13ファージ

M13ファージの生活環

M13ファージの端にあるg3pと呼ばれるタンパクが大腸菌の性繊毛を認識して付着し、一本鎖DNAを注入します。

一本鎖ファージDNAを大腸菌DNAポリメラーゼを利用して二本鎖DNAに転換します。

大腸菌の複製機構を利用して二本鎖ファージDNAを複製します。

大腸菌の翻訳機構を利用してファージ粒子を構成するタンパク質を大量産生します。

大量産生されたタンパク質の1つであるg5pが、二本鎖ファージDNAを鋳型として合成された一本鎖ファージDNAに結合します。

他にもファージを構成するタンパク質が結合して、最後にg5pが外れて代わりにコートタンパク質が一本鎖ファージDNAをカバーします。

そして大腸菌を傷つけずに細胞外へ放出されます。

混成ベクター

プラスミドベクターとファージベクターを組み合わせた混成ベクターがいくつか開発されていますが、その扱いは従来のものより難しいです。

コスミドベクター

コスミドベクターは45kbpまでのDNA断片をクローニングすることができます。ファージDNAのcos部位の”コス”と、プラスミドDNAの”ミド”をとってコスミドベクターとなづられています。

その名の通りプラスミドベクターにcos部位が取り付けられており、in vittroパッケージングによってλファージ粒子を再構成することができます。プラスミド由来のDNAであるため溶菌を伴わず、感染の有無を見分けることができません。

そのため利用するプラスミドはアンピシリン耐性遺伝子などがコードされているものを用います。形質導入された大腸菌のみがアンピシリン獲得し、アンピシリン含有寒天培地上でコロニーを形成することができます。

λファージと同等の遺伝子導入効率を誇りますが、プラスミドよりも宿主内で不安定であるため速やかに外来DNAから目的DNA断片を切り話してクローニングすること(サブクローニング)が必要です。

酵母人工染色体ベクター

コスミドベクターでも扱えなうほどの大きさを持つDNA断片をクローニングしたい場合は酵母人工染色体(YAC)を使います。YACには複製機転やテロメア、センテロメアなど複製に必要な遺伝子を全てコードしています。巨大なDNA断片を扱うのは容易でななく、酵母の扱いにも慣れている必要があるためYACを利用するのはあまり一般的ではありません。