今回は、外部磁場におかれた水素原子のハミルトン演算子とエネルギーを求め、最後にゼーマン効果およびゼーマン分裂について簡単に解説します。
電子の軌道運動による磁気モーメントμ
いま、半径\(r\)の円回路に大きさが\(i\)の電流が流れているとします。このとき、電流に対して右ねじの向きに磁場が発生します。このような系について磁気モーメント\(\mu\)と呼ばれるものが定義されていて、電流に対して右ねじの向きの単位ベクトルを\(\vec{n}\)とおけば、
$$\vec{\mu}=i\pi r^2\vec{n} \tag{1}$$
になります。ところで、電流は1秒間に回路に垂直な断面を通過する電荷の総数です。回路を大きさ\(q\)の電荷が速度\(\vec{v}\)で円運動しているとすれば、電流は電荷とその1秒あたりの回転数の積、すなわち電荷と振動数の積になります。振動数を\(\nu\)とすれば、
$$\vec{i}=q\nu=q\frac{\vec{v}}{2\pi r} \tag{2}$$
となります。ベクトルではなくスカラーとして(2)式を(1)式に代入すれば、
$$\mu=\frac{qrv}{2} \tag{3}$$
が得られます。ただし、回路が円でない場合には一般式、
$$\vec{\mu}=\frac{q(\vec{r} \times \vec{v})}{2} \tag{4}$$
が与えられます。そこで、(4)式の分母分子に\(m\)をかけて式変形していけば、
$$\vec{\mu}=\frac{q[r \times (m\vec{v})]}{2m}=\frac{q(r \times \vec{p})}{2m}=\frac{q}{2m}\vec{L} \tag{5}$$
が得られます。このとき、\(p\)は運動量で\(L\)は角運動量です。
水素原子の角運動量L
極座標系で考えた場合、角運動量\(L\)の2乗を計算する演算子\(\hat {L^2}\)は次の式で与えられます。
$$\hat {L^2}=-\hbar^2[\frac{1}{\sin \theta}\frac{\partial}{\partial \theta}(\sin \theta\frac{\partial}{\partial \theta})+\frac{1}{\sin^{\,2}\theta}(\frac{\partial^{\,2}}{\partial\phi^2})] \tag{6}$$
上式の導出については、以下の記事で解説しています。
参考:剛体回転子のエネルギー準位と慣性モーメント
また、水素原子のシュレディンガー方程式のうち、球面調和関数\(Y(\theta ,\phi )\)についての式が、
$$-\frac{1}{Y_l^m(\theta ,\phi )}[\frac{1}{\sin \theta}\frac{\partial}{\partial \theta}(\sin \theta \frac{\partial}{\partial \theta}Y_l^m(\theta ,\phi))+\frac{1}{\sin^{\,2}\theta}\frac{\partial^{\,2}}{\partial \phi^2}Y_l^m(\theta ,\phi)]=l(l+1) \tag{7}$$
で与えられています。このとき\(l\)は非負の整数です。これについても別記事で解説していますので『物理化学』のページにある水素原子の各記事を参照してください。
方程式(7)の両辺に\(\hbar^2Y\)をかければ、
$$-\hbar^2[\frac{1}{\sin \theta}\frac{\partial}{\partial \theta}(\sin \theta \frac{\partial}{\partial \theta}Y_l^m(\theta ,\phi))+\frac{1}{\sin^2\theta}\frac{\partial^2}{\partial \phi^2}Y_l^m(\theta ,\phi )]=\hbar^2l(l+1)Y_l^m(\theta ,\phi ) \tag{8}$$
これを(6)式の演算子を用いて表せば、
$$-\hat {L^2}Y_l^m(\theta ,\phi )=\hbar^2l(l+1)Y_l^m(\theta ,\phi ) \tag{9}$$
したがって角運動量\(L\)の2乗が、
$$L^2=\hbar^2l(l+1) l=0,1,2,3,… \tag{10}$$
になることがわかります。また、剛体回転子については、
$$\hat H=\frac{\hat{L^2}}{2I} \tag{11}$$
の関係式が得られていることから(9)式の両辺を\(2I\)でわって、
$$-\hat{H}Y_l^m(\theta ,\phi )=\frac{\hbar^2l(l+1)}{2I}Y_l^m(\theta ,\phi ) \tag{12}$$
したがって剛体回転子のエネルギー準位が、
$$E=\frac{\hbar^2l(l+1)}{2I} \tag{13}$$
であることもわかります。
磁気モーメントと角運動量量子数の関係
それでは、磁気モーメントと角運動量量子数の関係式を求めます。水素電子の電荷は\(-e\)であるので、これを(5)に代入して、
$$\vec{\mu}=\frac{-e}{2m_{\,e}}\vec{L} \tag{14}$$
(10)式の両辺の平方根をとって、
$$L=\hbar\sqrt{l(l+1)} \tag{15}$$
これを(14)式に代入すれば、
$$\begin{align} \mu&=-\frac{e\hbar}{2m_{\,e}}\sqrt{l(l+1)} \\ &=-\mu_\beta\sqrt{l(l+1)} \end{align} \tag{16}$$
ここでおいた\(\mu_\beta =e\hbar/2m_{\,e}\)をボーア磁子といいます。
外部磁場におかれた水素原子のハミルトン演算子
続いて、\(z\)軸正の向きに外部磁場が発生している空間におかれた水素原子のハミルトン演算子\(\hat{\;H}\)を求めます。外部磁場がないときのハミルトン演算子は\(\hat{\;H}_0\)とおくことにします。また、外部磁場が与えられたときに生じるポテンシャルエネルギー\(V\)は、
$$V=-\vec{\mu}\cdot\vec{B} \tag{17}$$
であることも分かっています。今回は\(\vec{\mu}\)と\(\vec{B}\)の向きがいずれも\(z\)軸正の向きであるので、磁気モーメント(14)を(17)式に代入して、
$$\begin{align} \hat{\;H}&=\hat{\;H}_0+V=\hat{\;H}_0-\mu_zB_z \\ &= \hat{\;H}_0-\frac{-e}{2m_{\,e}}\hat{\;L}_zB_z \\ &=\hat{\;H}_0+\frac{eB_z}{2m_{\,e}}\hat{\;L}_z \\ &=\hat{\;H}_0+\frac{\mu_\beta B_z}{\hbar}\hat{\;L}_z \end{align} \tag{18}$$
となります。ここで、\(\hat{\;L}_z\)はそもそも球面調和関数の角運動量の2乗に対応する演算子から得られたもなので、(18)式の右辺第2項に対して外部磁場のない水素原子の波動関数は固有関数となって、
$$\hat{\;H}\psi_{nlm}=\hat{\;H}_0\psi_{nlm}+\frac{\mu_\beta B_z}{\hbar}\hat{\;L}_z\psi_{nlm} \tag{19}$$
外部磁場中の水素原子のエネルギーを\(E\)、外部磁場がないときのエネルギーを\(E_n^{(0)}\)とすれば、
$$E\psi_{nlm}=E_n^{(0)}\psi_{nlm}+\mu_\beta B_zm\psi_{nlm} \tag{20}$$
となって、
$$E=E_n^{(0)}+\mu_\beta B_zm \tag{21}$$
の式が得られます。このとき、
$$\hat{\;L}_z\psi_{nlm}=m\hbar\psi_{nlm} m=0, \pm 1, \pm 2,…, \pm l \tag{22}$$
であることを利用しました。
ゼーマン効果
例えば、水素原子が外部磁場にさらされて1s状態から2p状態になるとしましょう。このとき各量子数の変化は、
$$\begin{align} l&:1 \to 2 \\ n&:0 \to 1 \\ m&:0 \to 0,\pm 1 \end{align}$$
になります。したがって、取りうるエネルギー状態が1種類から3種類に変化します。このような外部磁場によるエネルジー準位の分裂をゼーマン分裂といいます。2p状態になった水素原子はいずれ1s状態に戻りますが、この基底状態への遷移時に放出されるスペクトルがは三重線になることが知られています。
このように、外部磁場で励起された原子がエネルギーを放出するときにスペクトルが多重線になる現象のことを、ゼーマン効果といいます。ただし、多くの原子においてはより多くのスペクトル分裂が観測されており、これがスピン軌道相互作用によるものであることがわかっています。この現象は電子スピン共鳴装置(ESR)に利用されています。